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風吏のつぶやき

せんせい

Gは「せんせい」でした。

♪せんせい♪せんせい♪それはせんせい~が流れていた頃、渡船で着任・離任した経験もあるそうです。

『それはどこだ?ワン!』

先日、Gの配偶者からメールが来て『○○先生は根室に居たんですね。新聞見ましたか?』とのことでした。ここのところ新聞も斜め読みで見落としていたようです。

「私のせんせい」と云う投稿欄に『○○先生、お元気でいらっしゃいますか。 …先生に教わった歌「私は宿なし」が大好きでした。…先生のおかげで私は幸せです。…いつでも笑顔を忘れず、前向きに頑張っていきます。』との内容、50代主婦の方が寄せたものでした。

○○先生はGと同じ研究会に所属する年上の教員でした。早速、お仲間にMLでお知らせしていました。『今時、「学校」の先生には夢物語だろうか?しかし、教育の仕事は30年・40年先に評価されることもあるのです。…』に幾つか返信があって、ほっとしています。

Gが最も頷いているのは『…私がいたずらをした時に、先生が両親の前で一緒に頭を下げて謝ってくださったように、この歌は私にとって先生そのものです。…』の一文です。

何度も読み返しては考えています。

『反省しているのかな?ワン?』

 

箱入り娘

G のところには色々なものが届きます。

この間は岩手のOさんから林檎が届きました。「シナノゴールド」「王林」「サン富士」に自家製の「干し柿」でした。林檎は私の好物で「シャキシャキ」音を立てていただきました。

先日、神奈川のUさんから昨年に続いて「箱入娘」が届きました。福岡は八女の高橋商店謹醸の大吟醸です。『年越しはこれで…』とGは考えているようです。私と並べる、『訳わかんないっし!』ですが、嬉しさの「表現」なのでしょう。

お友だちとの『箱入り三人娘』時代の写真を御覧下さい。 

左から妹のようなチェルシーちゃん。お姉さんのようなエルちゃんと私です。エルちゃんは今年8匹の赤ちゃんを産んでお母さんになりました。<視覚障害のある子犬も大きく育っているようです。>ドッグ・トレーナァーのM氏にすすめられ、私は子どもの頃から「ドッグラン」などで色々な仲間と遊んできました。『小さいうちからいろんな犬と遊んで社交性を育てることが大切なんですヨ。』とのことでした。とりわけエルちゃんに遊んで貰って育ちました。

Gも「イヌとも(友)」が出来ました。珍しいことです。

私はよその人や犬を吠えたり囓ったりなどしません。例外は高いところで仕事をしている黒い作業服の人を見るとちょっと吠えるくらい。…

Gには『帰るのが遅かったワン!』、『ご飯速くワンワン!』と言って催促します。優しく噛むこともあります。これも「…表現」です。

 

ベルナール・ビュフェ

G のメールを覗いてみました。

 

I子 さん

ビュフェの画集が昼食に帰宅すると届いていました。

部屋に来て開封、今見終わりました。

久しぶりのビュフェでした。

又、初期から晩年までを通して(200頁)見たのも初めてかもしれません。

大きい画面でなかったのが残念でした。

しかし、歩いて観ていたら退館して足が動いていたか心配です。

美術館巡りのためにも健脚を保たねばなりません。

 

ビュフェのデッサン力は定評があり、「牛の頭骨とレモン」のデッサンから油のタブローまでを映像化したものを見たことがあります。きっちりしたデッサンからあの縦長のフォルムがうまれていく過程は面白いものでした。

帯広で(中2)惹かれるところがあり「花」のリトグラフィのコピーを買っています。

1964年(高1)、釧路鶴屋デパートの展覧会で「カルメン」を観ました。

大学に入ってからデビューのいきさつや「キリストの笞刑(ちけい)」「肉屋の少年」を知ります。

やはり、初期の作品(1950年代中期まで)がイイですね。

「ナンスの農場」なども好きです。

 

しかし、金持ちになったのが「失敗」ですか?

優れたところ(現実の矛盾を告発している~「証言者」~)もありますが、偏狭さも払拭出来ません。私が偏狭さを云々するのは「天に唾を吐く…」の類ですが。(笑)

それ程もてはやされる作家ではありませんが、忘れてはならない作家です。

 

是非、今度<クレマチスの丘>を訪ねたいと思います。ありがとう!

                                                                      稚内  G

 

…冬の月かな

釧路には行ったことがあります。Gと配偶者は釧路で高校の同級生だったんだそうです。紆余曲折があって結婚したのでしょう。その理由を問われたら「…経済的従属は政治的従属をもたらす」結果とGは答えていたようです。よく喧嘩もしていたようですが、『犬も食ワン!』内容だったのでしょうか?

私の躾けについても、あれこれ「論争」することがあります。よく聞いていると両者「ご都合主義」ってこともあります。私はその間隙を縫って「自己選択」の余地を拡げています。釧路は漁港です。 

 

幣舞橋(ぬさまいばし)には4体の裸婦像が建っています。

「夏」はお馴染みの佐藤忠良、「秋」は柳原義達、「冬」は以前にも触れた本郷新、「春」が船越保武、日本を代表する彫刻家各氏の作です。

『…公道に裸の女とは何事だ!』と発言した議員がいらっしゃって、『…貴方の文化水準を疑う、当市民を卑しめる発言に等しい』云々の批判が支持された経過もありました。『…何を不粋な』と笑っていた人もいたとか?!

「春」の前の私です。

私のポーズもGへの私なりの気遣いです。

「コミュニティハウス冬月荘」は皆さんもご存知でしょうか。

地域福祉の先端を走っておられますね。全国各地から見学者が絶えないそうです。Gもこの夏、訪ねたかったようです。叶ったのは「喫茶ブラジル」(釧路職親会)訪問だけになってしまって、「冬月荘」はブログをお気に入りに追加したようです。

米町公園にある啄木の歌碑です。

『忘れがたき人人』にある釧路での歌の数々を読むと、この歌が歌碑になった訳が頷けるとGは思っています。

「原風景」

久しぶりにGと夕焼けを見てきました。

強い残照に輝く夕焼け雲ではありませんが、利尻岳の頂上がシルエットに浮かぶパステルのグラデーションでした。

ここは、私が初めて地上で走った場所です。ワクチンを打ってからもしばらくは戸外に出て土の上を歩かせて貰えなかったのです。あの日も風が強かったなぁ~。

 

Gの関心の一つになっていることに「原風景」と言う言葉があります。

  幼・少年期の日常生活の繰り返される事実と内的体験がもとになり、

  特に思春期・青年期に、それらが想い起こされ反芻されることを通じて、場面・風景として意識され構成され、

  その後の人生の中で、自己の感覚・思考・思想の核をなす内的体験を保存するものとして意味の重みを増してくるもの。

「子ども時代に自然・人間関係、濃密な地域生活を体験し、それを通じて内部に誰のものでもない自分の<原風景>を形成してきたから、世界に向かって羽ばたけると言う関係」が存在し、大切にされなければならないようです。

 

さて、私の「原風景」は形成過程の途上にあるのでしょうか!?

Gも想いを巡らして…「日高の山脈、読めない50音表、青い色水と風船、蝶との出会い、ピカソの灰色、新聞紙の鯉幟、ボーイソプラノ、バスケットボールとベリーロール…」どれも人々と生活がつながって浮かび上がってくるようです。

『ワン~(何なの)?』

 

濡れ落ち葉

Gは「濡れ落ち葉」?

「日本語俗語辞書」によれば[定年退職後の夫のことで、仕事人間だった夫が家では邪魔な存在であることを表現した…『粗大ゴミ』より若干キレイな言い方…]、関連語に『銀の卵』『横の出世』『ラ・フランス』『アレリーマン』等々。

 

Gは1月に入手したチケットを握りしめ札幌へ。

11:25発 05:00着の旅程?で、私は留守番でした。

 

コンサート会場への行き帰り、雨の舗道に貼り付いて行き交う人を見上げている落ち葉に風情を感じたようです。

演奏に至福の時を得たようです。昨年の演奏会をGは逃し、『美には根拠がある!』が「姉」の感想でした。

「決して裏切られない内田光子」のファンなんです。モーツァルトは好く分からないようですが、彼女の演奏は楽しめるんですね~。

『ワン~(変なの)?』

 

仮面

先週末、1泊旅行に出かけました。旅行と言えば聞こえはイイのですが、Gのお出かけに付き合わされただけです。

行き先が「美深温泉」でしたので「道の駅」で「コロッケ」を食べました。

『ワン(当然)!』

Gはここを通る時、6割方(5回に3回?間違いない!)「コロッケ」を買い、休憩を兼ねて食べます。今回はお仲間のブログで紹介されていたので尚のこと、「チーズかぼちゃ」を含め4種類も味わいました。<犬の飼い主としてはGが責められる事のようですが…>

天塩川沿いの山々は頂上付近に初雪を残し、中腹から裾野までは紅葉。畑地や芝には緑を残す「冬隣」。何より空気が美味しい。「○○基礎講座」の参加者も学習内容よりそちらが収穫だったようです。

Gは迷っていましたが寄り道しました。私も2度目かな?

「エコミュージアムおさしまセンター」、今年の閉館日でしたから。砂沢ビッキのアトリエを改築し作品展示をしています。喫茶室もあり、カウンターには音威子府高校生が入っています。

Gは1967年に札幌で出会って、1978年音威子府に転居してきたビッキと再会します。ビッキが亡くなってからも長い「青春」の付き合いは続いているようです。

「仮面」のシリーズは随分前の作品ですが心惹かれているようです。

いつの時代も人々も「仮面」を必要としているのでしょうか。…

嘘とホラ(法螺を吹く)って同じですよね!?

Gは『違います。』と言って譲りません。

『…嘘は10の内9が事実であっても、1つ悪意(人を陥れよう)があり、

ホラは10の内9が事実と異なっていても、1つも悪意(人を陥れよう)がありません。「虚言癖」とレッテルされている人の中に「ちょっと不届きなホラ吹き」なだけの人もいます。』と。

 

ミーハー(みいちゃん・はあちゃん)?!

とうとう、初雪が来ました。

先週末はGの「軽貨物」の車検でした。わざわざ『タイヤ交換もしておきますか?』のお誘いを断りました。自分で交換するとは思われませんが、どうするつもりでしょう。「雨」から「雪」は「…傘がない~」から「スタットレスじあない~」では済まされないのに!

Gの「みいはあ」に付き合って下さい。

 

国連が制定した「国際女性の日」3月8日にちなんで催されたイベントだけにFemmes@Tokyo

上映された映画は“女性の、女性による、女性のための”ものばかりでした。「隠された日記~母たち、娘たち~」も祖母、娘、孫の三代にわたる女性が直面した問題を描いた映画です。 <カトリーヌ・ドヌーヴが2月28日、来日の理由>

今回は[23回東京国際映画祭]で「しあわせの雨傘」が上映されるので、開会式参加のため来日。…夫、子ども、昔の恋人、そして雨傘工場の従業員たちと繰り広げる、涙あり笑いありの人生讃歌!…「シェルブールの雨傘」を彷彿させる色とりどりの傘に囲まれ、フランス大女優が再び大輪の花を咲かせる―――。

 

『ワン(とのことです)。ワォ~ンワン(何を考えているのでしょう)。』

Morfar(もるふぁる=母の父)

秋も深まってきました。

私事で恐縮ですが、まあ私の「姉」と「その息子」が来ていました。

賑やかでした。この「姉」が躾けに厳しい人で、私も彼女とその息子にはちょっと気を遣っています。すなわち、「甥」に丁寧に付き合っているということです。

ところでGは、「爺」と「孫」の呼称にもこだわっている人です。ですから、「姉=Gの娘」は気遣って息子にmorfarと呼ばせています(自らも)。

 

鮭の遡上を見に行きました。

Gは張り切って鮭を一本素手で捕まえて「娘の息子」に見せようとしました。

彼はビックリ!。私は『ワン。(え~)ワンワン!(そんな事していいの!)』と吠えました。(写真撮影の後、川に返しましたが…)

 

Gは『…お孫さんは可愛いでしょう…』と言われます。

すると、『…えぇ。』と応えていますが、「…可愛い。…だが娘の子育ての姿に愛おしさを感じる。…そして妻に敬意を感じることに気付いた…」と思っているようです。私は相棒ですから分かるんですけど。

私の姿も見落とさないで下さいな!

言葉とコミュニケーション

以前にも呟きましたが、私は言葉を話しませんが「心」はあります。

コミュニケーションは「意思伝達」ですが、言葉が邪魔をすることもあります。

言葉を過信することで人間関係(つながるコミュニケーション)を狭めてしまうこともあります。『ワン!(その通り!)』

 

[くさくない]

一緒に絵本を読んでいて

母 『この絵本、太郎にはもう赤ちゃんくさいねぇ。』

本に顔を埋めて

太郎『そんなにくさくないよ。』

 

[心配]

 新入社員に昼食の場所を教えながら

従業員 『心配しなくていいからね。』と声を掛けました。

新入社員『心配してないです。』と言ってメールを続けた。

従業員 『…(沈黙)…』

<「語用論的理解とアプローチに期待」との主張も聞きます。>

Gのこじつけ。

「…ところがいまや、とくに子どもたちのしでかすことがわからないという不安に突き動かされ、必死になって「理解のマニュアル」を求めようとしている。「心の闇」という言葉がいみじくも、それを語っている。「こころ」なんて、闇だらけですよね…人間のすることはわからないことだらけですよね。 <「こころ」はどこで壊れるか~精神医学の虚像と実像~ 滝川一廣>

 

何と言うことはない。Gはカトリーヌ・ドヌーヴ出演の映画広告を見て、ウキウキしてるだけですから。[隠された日記 母たち、娘たち]

 

教師の養生

昨年、Gの知人が亡くなりました。大型の低気圧が本道を襲った秋、まだ50代半ばの教員でした。

冥福を祈りつつ、「子どもの成長・発達を支援しようというものは、自己の生活において養生を忘れず、自らの成長と自立を共に考えあっていこう…」との主旨で『教師の養生』がM氏によって書かれました。

養生とは、生活に留意して健康の増進を図ること、病気の回復につとめることなどです。又、養生とは「自然治癒力を強める方法」とも言われます。

子どもの教育実践に没頭するあまり、自己の養生を忘れてはいないだろうかと指摘しています。

「学校はいま」と言う特集コラムに“多忙で職場にあつれき”“倒れる前に辞めようか”の見出し、そして「教師には今、『養生する』ということが求められています。教師が人間らしさを追求できなければ、子どもたちに人間らしさを教えることは出来ないと思うのです」とありました。

 

『…センセイたちばかりじゃ無いみたいですね…みんなが養生ちゃんと出来なくちゃ!』 

私はGの養生に十分貢献していると自負しています。

携帯電話の待ち受け画面も私に変えました。一昨々日。

 

面長組合

先日、Gの話。31才の男性が北林谷栄さんを知らなくて、映画「阿弥陀堂だより」は『ちょっと聞いたことありますね』とのこと。Gはここでグッとこらえて帰宅しました。無理は良くないものです。<もの言わぬは腹ふくるるわざなり>

米倉斉加年(よねくら まさかね)さんの話です。1997年、彼は公演で稚内に来られました。「道化の口上」(50編の文と50葉の絵と1985年)は楽しく読める本です。『古い!ワン!』

 

「…まあ、他人は面と向かっては言わなくとも、馬面だとか、アゴが長いとか言っていることは百も承知している。…映画「寅さん」の撮影中、スチール・カメラマンが、『米倉さん、アゴひっこめて』と言った。『俺ね、好きでアゴ出しているんじゃないの、このアゴひっこまないの!』と言ったら、山田洋次監督『悪い人に悪いこと言ったね』とみんな大笑い…」

「…北海道で<面長組合>を結成した。メンバーは私を入れて4人。りっぱな方たちだ。私なんぞはそこに入ると丸顔に見える―――」<「道化の口上」より>

 

Gも「アゴ」「三日月」「花王石鹸」「魔法使いの子」などと渾名されていたようです。渾名(ニックネーム?)は本人の了解を前提としていませんから「微妙」?「ビミョウ」!「ビミョ~」(と使うのかな?)です。

Gは<面長組合>の組合員ではありません。米倉斉加年さんには惹かれているようです。

 

ちなみに私は「風ちゃん」と呼ばれています。『まぁ、いいか!』と思っています。

 

超軽量動力機

Gのお出かけに付き合って1泊旅行に行ってきました。

Gの話はいつもよく解らないことが多いのですが今回もそんな内容でした。

 

「粉本楢山節考」北林谷栄 作・出演(82才 93年)。皆さんピンと来ませんね!?北林谷栄さんは映画「阿弥陀堂だより」(02年)のおうめさん役で出演。(主演が宇野重吉の息子寺尾聰だったので歩行困難でありながらこの役を引き受けたそうです。)

「粉本楢山節考」は原作の深沢七郎著「楢山節考」(姥捨山をモチーフにした小説)を彼女が脚本化したもの。その中の台詞に

『…子は親を捨てて親になる…』があります。

『…北林さんの我々へのメッセージは「おりん婆さん」が何を残すかどう生きるかを、描き演じることではなかったか!…名もない老婆であるが凛として生き死んでいく…』演出の米倉斉加年(以前、Gの叔父と思っていた保護者がいました。)が語っていました。

「親は子を捨てて何になるのか?」(同時に「親に子を捨てさせるものとは何か」を問う)  ――― オレンジリボン(虐待防止協会)での話です。

帰路は久しぶりに稚咲内・兜沼線を走りました。

牧草地の真ん中に「カラフルなオブジェ」?

これを見逃せないのがG。『ハンググライダーかな…』ぶつぶつ。

『こんにちは』

『ウルトラライトプレインと言うアメリカから来たスポーツです。…』

『へぇ…20数年前から飛んでいらっしゃるんですか。知りませんでした。』

 

上空から見るサロベツの景観もすばらしいそうです。

私はビビリます。

 

木槿(ムクゲ)

前回の「彫刻の写真」について問い合わせがありました。失礼致しました。

写真の選択には私も意見を述べますが聞き入れられることは『はっきり言って少ない!』と感じています。

「説明する」ことを「自制?」しているのでしょうが、中学生なら『Gチョ!(ゴイッチョ)訳分かんない!』と一蹴されるところです。

オーギュスト・ロダン [パンセ:カミーユ・クロデールの肖像]1886~1889 オルセー美術館。でも、こう書くともうダメなのです。<1981年、スペインはフランコ独裁が終焉を迎え、ピカソの「ゲルニカ」は米国メトロポリタン美術館から祖国に帰ります(10月25日)。翌年1月、私(G)は「ゲルニカ」を観にスペインに出かけました。その途中、例年にない厳冬のパリでロダン美術館を訪ねます。雪も降りしきる昼下がり、来訪者も居ない小さな展示室の入り口右手にそれはありました。乳白色の滑らかな「パンセ(頭部)」はその数倍もある柱状の大理石の上に彫られたものでした。…再訪したロダン美術館から「パンセ」は消えていました。オルセー美術館で再会した「パンセ」の柱状の大理石は記憶のそれとはいたく異なったフォルムでした。…『Cut!』

※カミーユ・クロデールはロダンの若き愛人でした。1920年精神病院で悲劇的な人生の幕を閉じます。

本題が書けなくなりました。

今年は散歩に行くと本当に家々の庭や街路脇の花壇に様々な花が見事に咲いています。大花盛りのコスモスも…。実も赤く色付いてきたハマナスにローズピンクの花が咲いていました。「狂い咲き」でしょうか。

あるお宅の庭に見つけた木槿です。

「日の丸」と言う品種のようです。でも、木槿は大韓民国の国花だそうです。

 

ラ パンセ(瞑想)

ご無沙汰失礼致しました。

 

私も色々なことを考えています。

先日、川縁を散歩していたときのこと、ベンチに腰掛けていた老婦人が『…きれいな足だこと』と呟かれました。

私は心の中で『えぇ、よく言われるんです、風ちゃんは足が長いねって…』と応えてしまいました。

その直後、その婦人は『旦那さん、着物を着るのですか?下駄など履いてらっしゃるけれど』と続けました。

Gは振り向いて、私と婦人を見比べて『はぁ、浴衣程度は…』と口籠もっていました。

「きれいな足」は私の足のことだろうな…大花盛りのコスモスは、夏の暑さがもたらしたのだろうなぁ…とか

Gはこのところ若い人たちと交流する機会がありました。お酒も飲んでゲームに参加させて貰っていました。

ゲームは「東西南北の漢字が使われている名前のタレントは?歌手なんかでもいいですよ!」「漢数字二文字が使われている名前の有名人は?」3~4人のチームで競い合って答えを考えるものでした。

前問で「西田佐知子」に『知らな~い』。次問で「萬鉄五郎」に『そんな人知らない、ダメ!』。Gは『おめーら、それはないだろ!それは!』とむきになって争っていました。

 

私は考えます。「こんな相棒と付き合うのも大変だろうなぁ、『ともあれ皆さん、もう少し辛抱してお相手して下さい。』私のお願いは届くだろうか?…」

 

ミスマッチ?!

Gの夢は『ブエノスアイレスでタンゴを踊る』でした。

です。

夢はあくまで夢ですから抱き続けて結構です。

ですからこの記事も見落さ無かったのでしょう。

「タンゴ選手権、日本人が優勝」。(確か二人目でしたね?)

バンドネオンのライブがあって滝川へ行ったときは連れて行って貰いましたが、

ブエノスへは40数時間かかると言いますから、私は遠慮します。

 

この記事の隣に「亀戸事件」に関するものもありました。

<9月1日、防災の日は「関東大震災」の起きた日。「大韓航空機撃墜事件」が起きて稚内では平和学習の日>

 

前回、「乃木大将のお母さん」で長々略歴など書いたものですから「侵略と植民地支配」を正当化、美化するつもりかと問い質される向きがありましたので、Gにそうした意図のないことを弁明する機会を与えます。

 

吉岡吉典著 [「韓国併合」100年と日本]は一読に価する本でした。「日韓併合条約」第一条、第二条を見ると、その後も「偽り」が繰り返されてきたことに慄然とします。「…ありのままの事実が国民の常識にならなければならない…」「一民族は他民族を圧迫しつづけながら同時に自由になることは出来ない」等に共感しています。これは、歴史問題や政治問題であるばかりでなくノーマライゼイションの理念と通底しているもので、福祉や教育にも欠かせないそれだと思います。

 

Gはフラメンコやファドも好きで、演歌の清水博正も聞いています。

 

乃木大将のお母さん

Gはますます記憶力が後退しています。

昨日今日、今し方の事を忘れてしまいます。散歩の前に餌を用意することは日に2回の決まった事です。が、カーテン越しに庭を眺めて花の姿に変化などを認めると餌の用意を忘れてしまいます。散歩から帰って『さあ食事!』となって、『ゴメン、ゴメン…忘れてた』です。そう言うときは『許さん、ワン!』と吠えてやります。

昔の事は忘れていないようです。

私は「乃木大将」も「そのお母さん」も知りません。

 

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永211月11184912月25) - 大正元年(19129月13)は、日本武士長府藩士)、軍人陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵。第10学習院院長。贈正二位1916)。「乃木大将」、「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い。西南戦争への従軍(戦旗喪失)、日清戦争への出陣(旅順口陥落)、台湾総督就任、日露戦争出陣(長男勝典・次男保典の戦死、旅順陥落)。東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。しかしいわゆる「殉死」の評価についても諸説あるように、司馬遼太郎など「愚将」とする考え方もあるが、これに対する名将論・反論・擁護論も数多くある[1]。乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、軍人としての生涯の多くを司令官として過ごした。また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の殉死は、当時の日本国民に多大な衝撃を与えた。

 

幼い頃「身体の弱い、泣き虫な子」であった彼(乃木)は父母に厳しく躾けられます。その逸話に ―― 彼が人参を嫌いだと言えば、母は毎日人参を食膳に出し、梅干しを嫌いだと言えば、毎日梅干しを出して彼は何でも食べられるようになった。――というものがある。そうです。

 

Gは子どもの頃「好き嫌い」を言うと、必ず『乃木大将のお母さんは…云々』を聞かされていました。

しかし、Gは同世代の友人・知人にその話を知っている人と出会っていません。『ナンセンス!』と思いますが、何か淋しそうです。

私は「林檎、梨、メロン」などは食べますが、「バナナ」は食べません。

ソフトクリームはGと一緒で大好物。ドッグランの帰りに二人で食べます。

 

 

~「灰になるまで」大岡越前守の老母

…難問を抱えた越前がその老母(義母?)に向かって『女の性欲はいつまで続くのか?』と尋ねた。が、息子(婿)の不粋な質問に黙って火鉢の灰を火箸でかき回し続ける老母。その姿を見て『女の性欲は灰になるまで続くのだ!』と悟った越前…。<出典は不明、江戸時代からの小話?>

 

Gは以前、デンマークでは障がい者に「公娼」との交渉に割り引き制度があることを知って驚きました。

高齢者の性もタブー視されていますが、障がい者のそれも無知・誤解・偏見を払拭出来ない状態が続いているように思っているみたいです。

『うーん?知らないのは貴方だけかもよ?!』

 

…揺れています

少し長い引用ですがお読みください。(高倉健さんの横顔を思い浮かべて…)

 

この収録の時リンさんはふと、僕に近寄ると小声で云った。

「聰サン、このドラマ、うれしい台詞がある」

何でかと僕が訊ねると、リンさんは一寸照れたように太い指に唾をつけ台本をめくった。そうして最後に近い一頁を指さし、

「ここ」

指し示してから急に真赤になった。それは高倉健さんの演じる銀四郎という熊撃ちの台詞だった。


 

池田 「(気色ばむ)銀オヤジ、それぁどういう意味だ」

中川 「ああ」

池田 「こいつァオレたちの土地へ来て村をめちゃくちゃにしちまったンだ

       ぜ」

銀四郎「---------

池田 「そのクマをあんた供養しろってのか」

銀四郎「お前らの土地?」

池田 「ああ」

吉川 「銀さん、おれらが内地を出てからこの北海道の六線沢にやっと自分ら      の土地を拓くまでみんなどんなに苦しい目を見たか」

銀四郎「誰に断って入った土地だ」

池田 「---------

銀四郎「クマとお前らとどっちが先にいた」

 

最後の銀四郎の二台詞を指して、リンさんは照れたまま、

「好きだ」

と云った。

「この台詞好きだ。この言葉は本当だ」

その時はまだ、やせてもいなかった。

<倉本聰著『北の人名録』[さらば、リンさん]TBSラジオドラマ「羆嵐」>

 

が写真を撮ったのはこの話に頷くところがあったからでしょうか。

私の意向は考慮に入って無く、したがってポーズはつくりませんでした。

は羆(ヒグマ)には「寛容」・同情的ですが、鹿(エゾシカ)には「不寛容」です。ささやかな菜園のテナシインゲンやエンドウの若芽が食い荒らされたり、北方植物園の苗や植樹した桜まで踏みつけられ食いちぎられる事に憤慨しています。車との衝突事故にも憤っています。(2度も遭遇しています。安全運転義務違反はないのかな?)『断固駆除!』を口にする程です。

先日、『さん、鹿が悪いんじゃなく天敵の狼を駆逐したのは我々ですよ。』と諭されました。は思案顔で、『----(「共存」「共生」)---』無言ですが、独り言ちていました。

私には言葉はありませんが、心はあるので分かります。は揺れていました。未だに…。


対話?言葉と「思い」

GとSさんの話。

S『夕べ、カラオケ大会に出たさ。』

G『誰と?!』

S『うん、俺と彼と○○さんと…。』

G『何、歌ったの?!』

S『うん、「兄弟船」。』

G『鳥羽一郎か、あれはいい歌だ。』

S『…演歌は嫌いなんだけどな…』

G『鳥羽一郎は山川豊の兄貴だよな!』

S『うん、そこまでは知らないけど…。』

G『森進一の「襟裳岬」は演歌か?!』

S『うん、演歌でないべか、いや違うかな?』

G『Tさん、森進一の「襟裳岬」は演歌ですか?』

T『さぁ~、フォークと演歌の違いって何ですかね?!』

Gが「特別支援教育大事典(ENCYCLOPEDIA OF SPECIAL NEEDS EDUCATION) 」を買いました。嬉しそうです。「NEEDS」 と「SUPPORT」の違いを気にしていたので「ホッ」としているようです。因みに12年前に発刊された「障害児教育大事典(ENCYCLOPEDIA   EDUCATION  CHILDREN WITH DISABILITIES ) 」がお気入りでしたから。

 

「内容と形式の一致」を評価の基準にする方がいます。演歌ほど「内容と形式の一致」した音楽(歌)はありません。…しかし、大勢で歌うことが難しいので「スタンダード」にはなりづらい…<いずみ たく著「私的音楽論」にありました。ね?>


掲示板に以下の声が寄せられました。

  •    chavo (月曜日, 23 82010 12:34)

「風吏のつぶやき」を読みました。その中の〈花を摘む〉という題名で文章が書かれていたのですが、題名に込められた意味がわかりませんでした。教えてください。

 

以下Gのコメントです。  

  

「花を摘む」は女性が野外で用をたすことです。男性が野外で大きい用をたすことを「雉を撃つ」と言いました。<雉は茂みに隠れているのでそれを狙う姿勢がそう言わせたのでしょうか。『野糞をしてきた!』より『雉を撃ってきた!』の方が言いやすく聞きやすかったのでしょう。経験者は『…なーるほど(にんまり)…』、今や死語でしたかね。


彫刻二題<本郷 新>

Gは「変わった人」と言われます。本人はしばしば反論することもあります。

私まで「変な犬」と思われる(偏見)のは少し迷惑です。

先日も新聞に「わだつみ」像(戦没学生祈念像 ~なげけるか いかれるか/はたもだせるか/きけ はてしなきわだつみのこえ~)の記事を見つけると、学芸員の方にはがきを書きました。私を連れて「札幌彫刻美術館」まで出かけました。しばらく学芸員さんと懇談していましたが、私は白樺につながれていました。Gは7月から全国の劇場で、「樺太1945年夏 氷雪の門」の上映スタートを知っていて、札幌で何か確かめたかったのでしょうか?

帰りに『お利口さんね!』と学芸員さんに声をかけられチョット嬉しかったです。

 

Gは「変わった人」ですか?!

私は「変な犬」ではないつもりです。多少のアイデンティティを持っているので、Gもそこを気に入っているようです。似た者同士『相棒』ですか。

「花を摘む」…

「女がして悪いのは立って小便をすることだけだそうだ。女であることに卑屈になるな!」。

これは昭和30年代、英語科のM先生が中学校の卒業文集に載せた餞の言葉です。丸眼鏡の福与かな顔で、当時は珍しいオートバイクで通勤なさっていました。

産前産後休暇が明けて久しぶりに登校途中の姿を見かけた折、荷台にゴムバンドでいわえていたテキストや書類が散乱して、『G君、職員室に行って私が遅れること伝えてください。』と伝言を依頼された、そのM先生の言葉でした。

文集を読んで「愕然」とした記憶が鮮明で、Gは時々思い出しているようです。

 

ところで、♀の私ですがしばしば足を上げて用を足します。


自己紹介

私の名前は風吏(ふうり)です。

私の住み家(棲家)の世帯主は五井道義(Gジィ)、稚内市職親会の幹事だそうです。

私は同居人です。飼い主(ご主人様)と飼い犬ってどうなんでしょう?

私はシックリこないのです。

食事は提供されていますが、散歩などは「持ちつ持たれつ」ってところです。

私が貢献していることもあると自負しています。

追い追い呟きたいと思っています。

Gは「落ち着きがなく・忘れ物が多い」少年だったようです。

配偶者からは『あんたは「自己チュウ」だから…』とよく詰られています。

「事大主義者」とも批判されていたようです。

長くなったついでによければ付き合ってください。Gの「命名」の文章です。

命 名

                        

犬に名前をつける。

さて、「柴犬の牝」と犬種と雌雄は決めてある。さて。

中野孝次氏の「ハラスとの日々」「犬のいる暮らし(マホ)」を読むと、飼い主の思いの反映は頷けたが、小生には和名へのこだわりが払拭できなかった。

「月雪花星」、「花鳥風月」…。ともあれ和犬なので和名が好ましいかと考えていたところである。花にも心は動いたが、「風」に収まったのには「思想・思潮」などの語意によるところが大である。「風の街、稚内を拠り所にした」とは、聞かれた折の当たり障りのない説明に有効かとも思われた。妻と娘は「ベベ」を推したが、S氏未だ存命であり退けた。

「風子(ふうこ)」、「嵐(らん)」(…むべ山風を嵐というらん)も妻の同意には隔たりがあった。<「風子(ふうこ)」の音に認めがたい違和感がある、「嵐(らん)」のほうがまだしもとの返答。>

宮忠臣氏から『犬が届きました。受け取りに来て下さい。』との連絡が入る。その作業は急がれた。

「ふう○」で思案のうちに、「ふうが」「フーガ fuga()」「風雅」に行き着いたのである。メールで娘からも『いいんじゃない』の返信が届いた。

やっとの思いでこぎ着けた「合意」に「安堵」したものである。

しかし、「対面の結果」による変更の余地は妻も認めるところであった。

さて、20数日間待望した対面の時が来た。女性の飼育員が『可愛い子ですよ』と満面の笑みで迎えてくれ、宮氏も『信頼おける繁殖家が代牝にしようと思って取っておいたものです。このあたりの品評会に出しても入賞間違いない逸品です。』との弁。323日、静岡県富士市生まれ、(生後8週間)。「赤ん坊」と言うより「幼児」に近いすらりとした姿態である。女性飼育員のズボンの裾を噛んでまとわりつく仕草などなかなか元気者である。全体に暗灰色の毛が混じってはいるが、予想していた暗褐色より明るい毛並みである。容貌は、両眼の上に曲玉状の黒い毛があり、眼色が捉えづらく「花子(ロダン)」と「群馬の人(忠良)」を思い描いた。その時、「風雅(風流で上品なこと。雅やか。)」は再考の余地有りと判断した。宮氏からは『どんな名前が付けられるのかな?』と彼の腕に抱かれた「彼女」に視線を落として言葉が発せられて、女性飼育員は『…「さくら」と言う名前が多いんですよね』と続けられた。咄嗟に『…中野孝次さんのような命名もあるでしょうが、私は和名にと考えて、「風」を使いたいと思っているのですが…   』と口ごもった。宮氏はすぐさま『いや、名前は先生が立派に考えていただけるでしょう。心配はしていません。』と一段落つけて下さった。

「風雅」と容貌がしっくりしないことは妻も同感で、「ふう○」での選考の継続に入った。

無論、家に連れ帰ってからのてんやわんやは当然のことで、リビングで2度も小便をされて(させて)しまった。その合間に「呼び名が決まらなくては躾ができない」とのことで、音は「ふうり」とした。(「ふうか」も選択肢にあったが、「ふうり」のラ行の響きを可とした。)「里」「理」「李」か?「利」「莉」もあるが…。

急に学校から「協議事項」の連絡が入り、家を出た。学校からの帰宅途中、「官吏」の「吏」もいいかな?と再考の思いが浮かんだ。

「吏」は小役人くらいの意味だが、「能吏」とも使われる。

[風吏(ふうり)= 風のつかい]の意を込め、小さく非力と雖も世に人に何がしか能うものとして「共に育たん」ことを決意し、518日夜命名した。

 

            < 2008519日  道義  記 >

追 記

ところが。

借用してきた鉄針製のハウス(40×50×60)から出して遊ばせていると、表情は一変した。目の上にある曲玉状の黒毛がマスカラとも見えて「ちあきなおみ」を思わせないでもなかったが、猫のぬいぐるみを銜えて振り回すその時の眼は「叡知」と「強靱な意志」「博愛」に耀くものであった。

それは又、「風吏」が紛れもない北辺に吹きすさぶ「風の能吏に育ち得る」の確信を抱かせるに充分であった。同時に、そのように育つことを希求することは、自ら課した試練を諾うものでもあることを再認識させた。